タイトル:25年前の悪夢と、機内で迎えた二度の新年。〜フィリピンから極寒のアメリカへ〜
タイトル:25年前の悪夢と、機内で迎えた二度の新年。〜フィリピンから極寒のアメリカへ〜
2025年12月28日(日)
今からちょうど25年前、2000年末のこと。 当時、私はフィリピン・ラグナ州にある電子機器メーカーの工場に、基板実装部門のアドバイザーとして出向していました。
北米向けの携帯電話の立ち上げという大役を任され、12月のクリスマス前になんとか初出荷を完了。 「よし、これでやっと休める……!」 私は念願のクリスマス休暇へと繰り出しました。
束の間の休息、アニラオの海
出向前に掛川駅の近くでCカード(ダイビング免許)を取り、リフレッシュ休暇ではハワイでアドバンスまで取得していた私。フィリピン赴任後の半年間、現場の立ち上げを最優先にして封印してきた「ダイビング三昧」を、バタンガス州アニラオで爆発させる予定でした。
しかし、運命の電話は1日目のダイビングを終えて部屋に戻った時に鳴ったのです。
画面には、日本人上司からの大量の着信履歴。 嫌な予感を抱えながら折り返すと、衝撃の内容でした。
「北米に届いた携帯電話のシリアル番号が、外装箱と本体で一致していない。抜き取り検査でボロボロ見つかった。このままでは売り物にならないから、年明け早々に全数検査をしてくれと言われている」
本来、梱包工程は別の担当者の範疇でしたが、彼は家族旅行中で連絡がつかない状況。独身で身軽(?)だった私に、白羽の矢が立ったのです。
南国から極寒の地へ、弾丸移動
せっかくのアニラオでしたが、即座に中止。ショップのオーナーに無理を言ってマニラへ引き返してもらい、翌朝には工場で日本・アメリカ・フィリピンを結ぶ3拠点電話会議が始まりました。
急造の「改修プロジェクトチーム」が結成され、私はローカルスタッフと共にアメリカへ飛ぶことに。
12月31日: マニラ発、成田行きのJAL便へ。
成田にて: ホテルで日本側から届いた「シリアル番号チェックソフト」を受け取り、操作レクチャーを受ける。
1月1日: 成田からシカゴへ。
日本で新年(2001年)を迎え、機内で2度目の新年を迎えるという、なんとも落ち着かない幕開けでした。
マイナス20度の洗礼とロストバゲージ
目的地はインディアナポリス。 フィリピンでは短パン・半袖で過ごしていましたが、1月のインディアナポリスは想像を絶する極寒の地でした。
追い打ちをかけるように、空港で待てど暮らせど私のスーツケースが出てきません。 **「ロストバゲージ」**です。
フィリピンから持参した数少ない冬服も手元にないまま、急遽近くのKマートへ駆け込み、数日分の衣類と防寒具を調達。翌日から倉庫での「全数検査」が始まりました。
当時のアメリカはすでに室内禁煙。 休憩のたびに屋外へ出ますが、気温はなんとマイナス20度。 寒すぎて、タバコ1本を吸い切るのが精一杯だったことを今でも鮮明に覚えています。
3週間の戦いを終えて
インディアナポリスでの作業を終えた後はカナダへ移動。 結局、約3週間をかけて全てのシリアル番号と梱包のチェックを完了し、ようやくフィリピンへ戻ることができました。
今ではインターネットで何でも調べられますが、当時は電話帳が頼りの時代。 今回ふと思い立って、当時シカゴで行こうとして見つけられなかったステーキハウスを検索してみたら、あっさり見つかりました。
25年前のあの大騒動。 あの時、アニラオの海から引き返した判断が、今の自分を作っているのかもしれません。 今となっては、忘れられない「熱くて寒い」新年の思い出です。







.png)



コメント
コメントを投稿